令和4年4月
広域バス平岡・上村線廃止。
遠山タクシーにて運行。
遠山タクシーにて運行。
令和2年1月
EVバス実証運行開始。
飯田市、中部電力株式会社、信南交通株式会社の3者連携での事業。
飯田市、中部電力株式会社、信南交通株式会社の3者連携での事業。
平成31年4月
市民バス大休線廃止。
風越タクシーにて運行。
風越タクシーにて運行。
平成29年4月
市民バス千代線、久堅線、三穂線路線廃止。
アップルキャブにて運行。
アップルキャブにて運行。
平成28年9月
大阪線 USJまで路線延長。
USJへ直接乗り入れとなる。
USJへ直接乗り入れとなる。
平成28年4月
新宿高速バスターミナル(バスタ新宿)乗入れ。
新宿西口ターミナルより移転する。
新宿西口ターミナルより移転する。
平成27年8月
名古屋線 運行開始40周年を迎える。
平成26年12月
新宿線 運行開始30周年を迎える。
平成26年4月
消費税改訂に伴い、高速路線の運賃改訂実施。
平成24年11月
大阪線 伊賀良バス停へ乗り入れ開始。
平成24年2月
2社合併。
信南交通株式会社と信南観光株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
信南交通株式会社と信南観光株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
平成23年10月
飯田駅前発券所新設。
飯田商工会館取壊による飯田バスセンター廃止に伴い、飯田駅前発券所を新設。
飯田商工会館取壊による飯田バスセンター廃止に伴い、飯田駅前発券所を新設。
平成22年4月
乗合路線バス、周辺自治体より委託を受けて運行開始。
自主路線を全て廃止する。
自主路線を全て廃止する。
平成21年11月
グリーン経営認証取得。
環境保全活動に取り組む。
環境保全活動に取り組む。
平成18年12月
プライバシーマーク認証取得。
個人情報保護に取り組む。
個人情報保護に取り組む。
平成18年3月
ISO認証取得。
品質マネジメントシステム(ISO9001)をスタートする。
品質マネジメントシステム(ISO9001)をスタートする。
平成17年2月
エアポートリムジン
中部国際空港開港に伴い、名古屋空港から新空港へ継続運行する。
中部国際空港開港に伴い、名古屋空港から新空港へ継続運行する。
平成15年10月
2社合併。
信南交通株式会社と信南観光バス株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
信南交通株式会社と信南観光バス株式会社が合併し、信南交通株式会社となる。
平成15年4月
「はーとべるツアー」設立。
新たに「はーとべるツアー」をスタートする。
新たに「はーとべるツアー」をスタートする。
平成15年3月
「しんなん友の会」解散。
平成14年7月
貸切バス受注センター開設。
信南観光バス株式会社と共同で貸切バスの受注センターを開設。
信南観光バス株式会社と共同で貸切バスの受注センターを開設。
平成14年1月
いいなかライナーから信南交通は撤退。
平成11年12月
中島清社長は相談役となり、中島一夫社長就任。
平成10年5月
いいなかライナー(中津川線)運行開始。
ジェイアール東海バスと飯田駅前〜中津川駅前までの運行を開始する。
ジェイアール東海バスと飯田駅前〜中津川駅前までの運行を開始する。
平成10年2月
市民バス運行開始。
従来より運行していた千代線、久堅線、大休線を飯田市に委託し、小型バスによる市民バスが誕生した。
従来より運行していた千代線、久堅線、大休線を飯田市に委託し、小型バスによる市民バスが誕生した。
平成05年3月
みすずハイウエイバス長野線路線変更。
長野高速自動車道全通に伴いみすずハイウエイバス(みすず急行)の路線を変更。
長野高速自動車道全通に伴いみすずハイウエイバス(みすず急行)の路線を変更。
平成05年2月
情報システム部設立。
コンピュータ機器販売を目的に設立。
コンピュータ機器販売を目的に設立。
平成03年6月
大阪線運行開始。
伊那バス、阪急バスと3社で共同運行開始。
伊那バス、阪急バスと3社で共同運行開始。
平成02年12月
横浜線運行開始。
京浜急行と2社で共同運行開始。
京浜急行と2社で共同運行開始。
昭和63年9月
みすずハイウエイバス長野線運行再開。
長野自動車道が岡谷ジャンクションを起点に豊科インターまで開通したのを契機に昭和53年より運休していたみすず急行長野線を改称して、運行再開した。全通までは豊科から長野まで旧来の国道19号線を運行した。
長野自動車道が岡谷ジャンクションを起点に豊科インターまで開通したのを契機に昭和53年より運休していたみすず急行長野線を改称して、運行再開した。全通までは豊科から長野まで旧来の国道19号線を運行した。
昭和61年11月
中島咸人社長は会長となり、中島清社長就任。
昭和60年5月
本社移転。
飯田商工会議所1Fより大通(現在)へ移転する。
飯田商工会議所1Fより大通(現在)へ移転する。
昭和60年3月
信南観光バス株式会社設立。
中島咸人社長就任。
中島咸人社長就任。
昭和59年12月
新宿線運行開始。
京王電鉄バス株式会社、伊那バス株式会社、諏訪バス株式会社、富士急行株式会社、山梨交通株式会社と6社で共同運行開始。
京王電鉄バス株式会社、伊那バス株式会社、諏訪バス株式会社、富士急行株式会社、山梨交通株式会社と6社で共同運行開始。
昭和53年4月
中島巌社長辞任、長男中島咸人社長就任。
昭和53年3月
みすず急行運行休止。
昭和44年以降、度重なる運賃値上げを行ったことと、マイカー激増に伴い、旅客は塩尻までマイカーで行き、そこから特急電車に乗り換える方法に移行してしまい、みすず急行の利用者が激減してしまった事が主な理由。
昭和44年以降、度重なる運賃値上げを行ったことと、マイカー激増に伴い、旅客は塩尻までマイカーで行き、そこから特急電車に乗り換える方法に移行してしまい、みすず急行の利用者が激減してしまった事が主な理由。
昭和51年5月
名古屋〜伊那線開始。
名古屋鉄道、伊那バスと3社で伊那市〜名古屋までの高速バス運行開始。
名古屋鉄道、伊那バスと3社で伊那市〜名古屋までの高速バス運行開始。
昭和50年8月
名古屋線高速バス開始。
中央高速道路が小牧〜駒ヶ根間で併用開始となり、国道153号線で共同運行していた名古屋鉄道と協議し、新たな高速バス路線とすることになった。親しまれた名飯バスは約40年で廃止となった。
中央高速道路が小牧〜駒ヶ根間で併用開始となり、国道153号線で共同運行していた名古屋鉄道と協議し、新たな高速バス路線とすることになった。親しまれた名飯バスは約40年で廃止となった。
昭和49年10月
恵那山トンネル開通。
昭和42年4月
百貨店開店。
銀座の本社跡地に信南銀座ビル百貨店開店(従業員80人で開店したがおよそ6ヶ月で売却した)。
銀座の本社跡地に信南銀座ビル百貨店開店(従業員80人で開店したがおよそ6ヶ月で売却した)。
昭和42年4月
本社移転。
銀座4丁目から飯田商工会議所1Fへ移転。
銀座4丁目から飯田商工会議所1Fへ移転。
昭和34年5月
飯田ヂーゼル株式会社設立。
信南交通株式会社整備部門が分離独立し、社長に中島巌就任転。
信南交通株式会社整備部門が分離独立し、社長に中島巌就任転。
昭和30年4月
信南観光株式会社設立。
中島巌社長就任
中島巌社長就任
昭和27年7月
名古屋・飯田線開始。
昭和12年5月に国道153号線を南信自動車株式会社が名古屋鉄道株式会社と協定運行していたが戦争の為運休していたものを、信南交通株式会社として協定しなおしたもの。
昭和12年5月に国道153号線を南信自動車株式会社が名古屋鉄道株式会社と協定運行していたが戦争の為運休していたものを、信南交通株式会社として協定しなおしたもの。
昭和26年3月
みすず急行運行開始。
伊那自動車株式会社、松本電鉄株式会社、川中島自動車株式会社と弊社の4社で共同運行開始。(179.4kmを5時間40分で一般道を運行した)
伊那自動車株式会社、松本電鉄株式会社、川中島自動車株式会社と弊社の4社で共同運行開始。(179.4kmを5時間40分で一般道を運行した)
昭和24年2月
会社の分離独立。
昭和20年に合併した伊那自動車(現在の伊那バス)、御嶽自動車商会が分離独立。2代目社長に中島巌就任。
昭和20年に合併した伊那自動車(現在の伊那バス)、御嶽自動車商会が分離独立。2代目社長に中島巌就任。
昭和21年1月
信南交通労働組合結成。
昭和20年6月
信南交通株式会社設立。
伊那自動車株式会社、南信自動車株式会社、大平自動車株式会社、御獄自動車株式会社が戦時統合の方針に基づき合併、信南交通株式会社が設立され初代社長には小野秀一が就任成。
伊那自動車株式会社、南信自動車株式会社、大平自動車株式会社、御獄自動車株式会社が戦時統合の方針に基づき合併、信南交通株式会社が設立され初代社長には小野秀一が就任成。